緒方洪庵は備中足守藩(岡山県)出身。
文政9年(1826)大坂の中天游の塾「思々斎塾」で西洋医学の基礎を学ぶ。
天保7年(1836)に蘭学を学ぶため長崎へ遊学。
長崎ではオランダ人医師ニーマンに医学・医術を学ぶ。
天保9年帰阪。
瓦町で医業を開き蘭学塾、適々斎塾(適塾)を開く。
師中天游の「思々斎塾」にあやかっての塾名とか。
1845年(弘化2)、入門者が多く手狭となり過書町(現在の場所)に町家を購入。
文久2年(1862)幕府の要望で奥医師兼西洋医学所頭取として、江戸に出る。
文久3年(1863)江戸の頭取屋敷で死去した。
日本最初の病理学書「病学通論」、
コレラの病理・治療・予防法を書いた「虎狼痢治準」などを書く。
道修町に除痘館を設けて種痘事業の発展に尽くす。

画像は洪庵の書斎。
塾生は刑死した橋本左内をはじめ、大村益次郎・佐野常民・杉亨二・箕作秋坪・大鳥圭介・長与専斎・福沢諭吉ら、1000人にのぼるという。

画像は塾生の2階の勉強部屋。
柱に刀傷がある。

そして、「解体新書」。
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